内在系 大瀧詠一

内在系と超越系で音楽を考えると色々と面白い。そして大瀧詠一はどちらか、という問題。

内在系である。が、しかしただの内在系では無い。内在系の底を突き破り超越系へと昇華させた数少ない音楽家だと言えるだろう。そして今、それを反復しようとしているのが星野源だろう。なんとかこの音楽的貧困に満ちた日本で、それを成し遂げて欲しい。

この二項対立で音楽を考え始めて数時間。1つの結論に至った。それはこうだ、音楽はそもそも超越的であり、今この身体を現実から引き剥がすことができるのだ。巷に流れる音楽の貧困さは、この事を忘却していることが要因なのだろう。そしてそれは、リスナー側の問題でもある!

と、ここで叫んだとしても現実は変わらないだろうし、変わる事を必要としない。ならば、この思いはどこに向けたらよいか、リテラシーの低いリスナー達か、ちがう。音楽家たちか、ちがう。それを要求した社会か、ちがう。この自分自身に向けるべきなのだ。なぜなら、僕はこの世界に遅れてやってきた。僕がこの世界に参加した時に、既にルールは決まっていたのだから。この世界に遅れてやってきた全ての人間は(それは本当にすべての人間)この世界のルールをプレイヤーになる事でしか習得できないが故に、圧倒的な未熟さから不可避なのだ。

なんとなくいい感じの事が言えたので、おしまい。