東浩紀「クリュセの魚」感想

僕の中の東浩紀は、ニコ生で白ワインを飲みながらブチ切れし、かと思ったらゲンロン0を書く、そんなイメージだった。はじめの30ページくらいは、そのイメージが離れず、中々小説の、火星の、世界観に入れなかった。それに本気で恋愛を書いているのだから尚更だ。だが気がつくとそんなイメージは払拭されていた。中盤は取り憑かれたようにページをめくっていた。が展開が早く、アッサリしていて、もうそのセリフ言う?みたいな感覚は時々あった。でも、それはきっと主人公アキトの不完全さなのだろう。終盤に差し掛かり、わたし、や、このわたし、や、すみか、が交差するようなシーンでは、払拭されていた東浩紀像が、はじめとは全く違うカタチでまた現れてきた。これは確かに、デリダ論をやり、ポストモダンを語り、オタクを語り、哲学を語る東浩紀が書いた小説だということが分かった。

彼が、もう一度、小説を書いてくれることを願う。