終わりなき日常を生きろ

雨が降った翌日、東京の地下はドブ臭くなる。

その臭いを嗅ぎながら、階段を上る。沢山の靴が同時に音を鳴らす、前からも後ろからも音が聴こえてきて、もう後には戻れない事を知る。サーディンランの中にいるイワシと同じ気分だろうか。自分の意思ではない、集団の意思により自動的に足が動く。暗闇から鮫がきても、自らの生存より種の存続を優先する覚悟はある。そんな不気味な一体感の中で、僕は駅の階段をのぼっていた。

階段を上り終え電車を待つ。地面が揺れるのと同時に、暗闇から2つのライトで前方を照らす電車が進んでくる。音は聞こえない。かわりに聞こえるのは、都市の音楽。iPhoneの音量をマックスにしているので、音が割れ、しゃりしゃりと言っている。いい音楽は大音量にしても決して「うるさく」ない。ちなみに、カナル型イヤホンだと音楽を聴けないので、イヤホンを買うときはいつもインナーイヤー型を買う。カナル側で音楽を聴くのは、アナルに指を突っ込んで生活している感覚になり、それが耐えられない。流れる音楽は「dan」の「curtain」都会的である。こういうバンドは長続きしない。都市は、軽薄で、無責任で、流動的なことが条件だからだ。

それを証明するかのようにイワシの群れは電車へと流れ込み、椅子取りゲームを開始する。そのゲームの勝者になった僕は、一安心する。が、次の瞬間その電車の空気がいつもと違うことに気が付く。刹那。戦慄が走る。「女性専用車両」一瞬の逡巡のうちに、その席から離れないことを選択した。一瞬の判断だったが、とにかく席を離れない事にした。今考えると、「間違えて女性専用車両に乗った事に気付き車両を移動する羞恥心」よりも「その間違いそのものに気付かないフリをする」ことの方がいいと判断したのだろう。この判断に理性が介入する時間はなかった、理性による判断は時に命取りとなる。目の前に少年兵が現れた場合、理性が介入すれば、自らの身体が吹き飛ばされるかもしれない。「思考することなく少年兵をヘッドショットする」ことが求められる。それにほとんど近いスピードで僕の頭は動いた。さりげなく辺りを見回してみるが、誰も車両内の異物には気付いていないように見えた。いや、気付いていても気にしてる人は居なかった。

せっかく非日常的な空間を楽しめると思ったが、さしたる事ではなかった。こういうことはよくある。初めて東京に、クラブに、風俗に行ったときも、そこにあるのは限りなく日常であった。この歳にしてようやく気が付いた。僕はこの日常を、終わりなき日常を生きていくことになるのだ。

でも心のどこかで、この終わりなき日常を終わらせてくれる霹靂を待っている。