日記023

近代哲学における「自然状態」とは全く関係がなく、空間や場所における「自然状態」というものがあったとすれば、形態とマテリアルの複雑さが比例している状態と言える気がする。的を得た様な気分だけど、とても普通のことを言っただけかもしれない。四角い箱であればマテリアルは少ないし、複雑な空間であればその分マテリアルは増える。おそらく自然界は自動的にそのようになっている。無為な空間とも言える。そしてそのような無為な空間は人間に落ち着きを与えるのかもしれない。(本当の意味で無為な空間、例えば宇宙空間とかは人が生きていけないが、、)

四角い箱なのにマテリアルが多い、あるいはその逆の状態になり、無為な空間のバランスが崩れた場合、人間は空間から意図を感じることになる。別の言い方をすればその空間やそこに存在するモノを計画した人たちの視線を浴びることになる。その視線が快/不快どちらの場合もあるが、不快ではない場合は計画者の視線を超えてモノ自体の視線まで昇華された場合である、それはある意味で神がかり的な状態だと思う。

無為な空間のバランスが崩れた場合、ほとんどの空間は失敗する、あるいは「なににもならない」かもしれない。それをなにかする為には神の力を借りなくてはならない。。