自然生きること

徹底的に、あるいは病的なまでに分解する。

目の前のタスクをこなす時、その様にすればいいと思う。タスクというと仕事のようだが、それだけではない。生活や人生一般に訪れるあらゆる問題を含む。

分解されたタスク=必ず乗り越えられる小さな壁を沢山乗り越えていく。先に道をつくるのではなく、( 道を想像することはいいが、その想像が裏切られたとしても落胆せず、また想像し直す ) 一歩踏み出したその足によって地面が固まっていけばいい。別にチカラのない一歩でもいいし、躊躇しながら出した一歩でもいい。どんなに不格好でもその場所から少しだけ移動できればいい、別に正しい方向に行こうとしなくていい、移動することそのものが重要だから。

それでも動けなくなってしまったのなら、その場に寝てみてもいいし。それも難しければ目を瞑るだけでいい、兎にも角にも、見ている景色を変えることさえできればいい。景色が変われば世界が変わり自分の身体と思考が変わる。

仮に、あらゆる問題がなくともそうするべきである。

なぜなら、すべての事物が移りかわり続けるこの世界で、あなただけがその場に留まっているのは不自然ではないか。

そして最も重要なのは、この文章の様にタスク処理の話から、単に移動する話にすり替わってしまうということである。ある目的の為に行った行為が、その行為自体に意識が向かい、元の目的などどうでもよくなる、その様に生きることが自然な生き方だと思われる。

風が立つように、稲穂が揺れるように、自然に生きていきたい。