「世界のおわり世界のはじまり」

 

以下あらすじ。

東京のTVクルーがウズベキスタンへロケに行く。レポーター前田敦子(以下彼女)とクルー達は、安っぽい絶叫マシンや広大な湖で伝説の魚を釣る(最後まで釣れない)といったロケをしていく。彼女には東京に恋人がいて、ロケが終わりホテルに戻れば、携帯ですぐに連絡を取り合う。彼女は、カメラが回ればそれなりにうまく喋るが、どこか嘘くさい。現地の人とのコミュニケーションも避けていた。

ある日、一人で外食をした帰り道に家畜のヤギと出会う。彼女はヤギに自分を投影した。本当は歌手になりたかったのにレポーターをやり、ウズベキスタンには友達もいない、彼氏にも会えない、どこか場違いな場所に来てしまった自分を。

クルー達はロケがうまくいかなくて困っていた。伝説の魚は釣れないし、ウズベキスタン人のルーズさに辟易していた。次のロケ先をクルーが考えている時に、彼女からはじめて企画を提案した。家畜のヤギを山に帰してあげるロケはどうかと。

ヤギを飼っている住人に金を渡し、山に返すことを承諾してもらった。

彼女はヤギに

「もう捕まっちゃだめだよ」

と言って手綱を離した。

離れて行くヤギを見守っているとそこに車が停まる。社内から飼い主であった住人が出てきて、車の荷台へヤギを乗せた。彼女は怒りをぶつける。

「話がちがうじゃないですか!」

「あなた達はヤギを山にかえす映像が撮りたかった、それが撮れたならもういいだろう」

彼女は泣いていた。

最終的にはクルーが金が渡し、ヤギは再び山にかえされた。

次のロケ先は大きな市場だった。クルーからの提案でハンドカメラをもってロケをした。彼女は人混みの中をどんどん歩く。クルー達は彼女を見失う。クルーが付いてきていないことに気づかずにどんどん進んでいく。気が付くと撮影禁止エリアを撮影していた。警官が近づきカメラを確認させてくれと言う。何を言っているか分からない彼女は逃げ出してしまう。警察に追われる彼女。全力で逃げる。近くの橋のしたに隠れていたが、通りかかった人に通報され(心配で警察を呼んだ)捕まってしまう。

 

物語は終盤、東京の石油タンクが爆発して東京湾が燃えている。彼氏は消防士だった。彼女は何度も電話を掛けたが繋がらない。糸が切れたかのように二日後、電話がつながり彼氏の無事を知る。前田敦子は徐々に心を開き始める。ラストのシーン。山岳地帯にロケに行った。カメラマンが風景を撮っている間、彼女は一人で歩きだす。すると、遠くに山に返したヤギがいた。彼女はその場で愛の讃歌を歌う。

 

以下感想。

多くの物語は、主人公がある出来事を通じて変化するものだと考えればこの映画はとても見やすい。内省的な主人公が、現地の人々や豊かな自然を通じて心を徐々に開いてき、最後に愛の賛歌を歌う物語。と要約できてしまうからだ。けれども自分にとっては見やすい映画ではなかった。その見づらさの理由からこの映画の感想を書く。

 

女優としての前田敦子の魅力は演技に奥行きがないことにあると思っている。女優として奥行きが無いことは致命的に思えるがそんなことはない。別の言葉で言うと「日常的」といった感じ。これは自然体とは違う。例えば、安藤さくらは自然体だが、日常的ではない。この前田敦子の日常性なくしてこの映画は成り立たなかったはず。なぜか。

この映画は、「内省的な主人公が現地の人々や豊かな自然を通じて心を徐々に開いていく。そして最後に愛の賛歌を歌う」という物語ではない。面倒だからおわり