日記015

インターネットで40歳くらいの男と話をした。大東亜戦争の是非について話をしていたが、私から例え話で小田急事件の犯人について言ってきたことに反発してきたので楽しくなった。私は、卑劣な犯人が育つような環境が貴方や私の近くにあり、その環境で育ってしまったら私達も彼のようになる可能性があるのではないかと言ったのだった。擁護ではなく、そのように想像することは大切では無いのかと。それを聞いた相手の人は、ありえない!そんなこと考えるな!あんなものは人間では無い、全く違う他人だ!と言ってきた。その上で、おれがあの場に立ち会っていたら死んでもいいから犯人にタックルしたとも言いはじめた。軽薄な正義感を持った人だと分かった。このような人間が戦争になったら人をぶちぶち殺すのだ。彼は戦争反対だが、戦争が始まれば戦うとも言っていた。それは環境が変わったのだからそれに適応するのだと言っていたが、先程の話と既に逆行していたが、私はもう彼との話に疲れていた。頑張ってこのように答えてみた。環境が変われば人を殺すというのでは人は簡単に殺してしまう。それは人を殺してはいけないという事を外的要因に求めているからであって、人を殺してはならないということは、「ただたんにそう」だと考えるべきなのでは?と。彼はもっと考えなきゃダメだよ若いんだからさ、それじゃ大人になれないよと言ってきた。分かりましたと言って話を終わりにした。