実家の外壁はタイルを模した窯業サイディングで、一階と二階部分で色が少しだけ変わっていた。子供ながらに焼く前と後のカルビみたいな色だなと思っていた。建築をやっていると、そういう事は忘れて、あるいは無かったことにして何かを考えているつもりになっているけど、結局あのカルビ色の外壁の家が自分の「家」というイメージの一つである事からは逃れられない。その家の前に住んでいた家は庭と建物が同じくらい大きさの平屋だった。家よりも外で遊ぶことが好きだったから家は小さかったけど、当時の感覚としては家も庭も、その周りの公会堂とか神社も自分の「家」だったから、カルビ色の家よりも広く感じていた。もう一つ、母方の祖父母の家もよく覚えている。大きな日本家屋で縁側があって、従兄弟たちとスイカの種を飛ばしてリアルサマーウォーズみたいな事をしていた。カルビ色の家、庭の大きい平屋の家、日本家屋、きっと自分の中にある「家」というイメージはこの3つからできている。
散歩をすればすぐにわかる事だけど、街にはどうでもよい家々が建っていて、知らない人たちがたくさん生きている。当たり前だけど、この無数のどうでもいい家があるということから始めないといけないと思う。やっぱりいいカルビ色の外壁は無かった事にはできないのだ。