音楽は先祖帰りの伴奏(ガイダンス)である Ⅱ

日本のkraftworkを探して僕はYMOと邂逅した。ちなみに日本のテクノモーツァルトは誰か?という問いに答えるならば、レイハラカミだろう。さて、前回は教授のことを書いたので、次は高橋幸弘。三人の中で一番「カッコイイ」のは間違いなく彼だろう。それはアルバム「音楽殺人」を聴けば分かる。幸弘につい言いたいことはもう書いてしまった。とにかく、かっこよくてお洒落、そしてそれは「音楽殺人」に象徴される。あと一つあるとすれば、ymoの中で最も重要なメンバーだったということくらいか。優れた両翼を繋げる機体が彼だったからだ。教授、ユキヒロとなぜこんな足早に書き飛ばしているかというと……その通り。細野晴臣について書きたくて我慢できないのだ。早速彼について書いていくが、この三人の話の順番は、実際に音楽を聴いた順番と同じだ。最後に細野さんを聴いた理由は簡単で、いつも淡々とベースを地味に鳴らしている眉毛の太いオジサンとしか思っていなかったからだ。人の第一印象なんかは大体間違っているものだ。ここからはアルバムを時系列で聴きながら、断絶と飛躍を繰り返しながら書いていく。

hosono house」よく作家の処女作には全てが現れるというが、細野さんも例外ではないようだ。狭山で暮らしていた頃に自宅で録音したこのアルバムを作った彼は、まだ26歳だった。それだけでもすごいのだが、彼はこの前に「はっぴいえんど」をやっている、もう訳が分からない。ということなのでまずは「はっぴいえんど」から。「はっぴいえんど」を一言、いや二言で言うと、― 日本(語)ロック史上もっとも革新的且つ、普遍的。そして、その後の日本の音楽(ロック以外も)の全てを作った四人が奇跡的に集まったバンド ー さすがに全てというのは無理があると思うかもしれないが、まぁそれくらいの勢いが今の自分にはある。なぜなら、今ファーストアルバム通称「ゆでめん」の「春よ来い」を聴いている!これはヘロインよりも即効性がある。彼らはアメリカのロックサウンドの上に日本語を乗せた。というのは簡単だが、実際に当時の日本でそれをやることの革新性を僕は創造することしかできない。しかし実際に当時その場に居たとしても、それの革新性に気が付くことができた自信もないので、今こうして彼らの音楽を俯瞰して聴けてよかったと(も)思う。Ⅲへ続く‥‥