音楽は先祖帰りの伴奏(ガイダンス)である Ⅰ

ドイツの乾いた電子音が、田舎の高校生の耳に届かなかったら今いったい何を聴いているだろう。

中学生の頃はイヤホンすら持っていなかった気がするから、自発的に音楽を聴き始めたのは高校生になった頃だろう。田舎の高校生には、湘南乃風を聴くか。BUMP OF CHICKENを聴くか。または何も聴かないか。それくらいの選択肢しかない。そして僕は、BUMP OF CHICKENを聴く人生を選んだ。しかし、その人生は唐突に終わりを告げた。二年生になった頃、YouTubeの関連動画にあった「kraftwork」を聴いてしまったのだ。関連動画にあった理由は恐らくサカナクションを聴いていたからだろう。青天の霹靂。地平線の向こうに階段を見つけたのだった。その乾いた電子音は、田舎の高校生を一瞬にして音楽の大海へと導いてくれた。そんなコトを書いていたら、クラフトワークを聴きたくなった!「アウトバーン」を再生中。。。圧倒的テクノ、なんという淡白さ、いつかこの音楽を聴いてアウトバーンを時速200キロで走ってみたいものだ。そんな訳でクラフトワークから始まった音楽の大海への旅。中沢新一のアースダイバーならぬ、ミュージックダイバー(恐ろしいほどの語呂の悪さ)をはじめよう。

クラフトワークで始めて聴いたのは最も有名な「the robot」だった。ウィーアザ、ロ、ボ、ツ、テン、テンテンテン。そこからほとんど全ての曲を聴いた。死ぬまでこの電子音を無限ループしたいと思っていた。一番好きなアルバムは何かと言われたら間違いなく「Tour de France」と答える。アルバム全体の疾走感。ドイツ語の美しさ。全てにおいて完璧だ。それからしばらくテクノ、アンビエントエレクトロニカなどを聴いていた。その中でこれから先もずっと聴いていくであろう音楽を見つけた。エイフェックスツイン。彼のアルバム「ambient Works」は、今までの人生で最もリピートしたアルバムだ。彼はテクノモーツァルトと言われているだけあって、とくに「ambient Works」を聴いている時は普段の思考のもっと奥、世界の深淵へ導くガイダンスに聴こえてくる。そんな調子で音楽を聴いてるときに、一つ大きな疑問を抱いた。日本にテクノはないのか?日本にクラフトワークはいないのか?日本にテクノモーツァルトはいないのか!!

そして僕はついにYMOと出逢ってしまった。日本人ならライディーンのメロディを誰でも知っている。僕もライディーンだけは知っていたので、はじめはYMO?うーん。ライディーンでしょ?というような感じだった。だがそれは間違っていた。はじめに聞いたのは地響きのような伴奏から始まる「東風」だった。闇の中から中国の風が吹いた。その風は、マーティンデニーの「fire cracker」からアルバム「テクノドン」の「ポケットが虹でいっぱい」まで、YMOの全ての曲聴くには十分すぎる風だった。YMOは音楽だけではない。ファッション、若者カルチャー、お笑い、時にアイドル。暴走族から幼稚園児、誰もがライディーンを聴いた。全てを巻き込んで時代を作った。そしてここからほとんどのYMOファンがそうしてきた様に、壮大な旅にでた。坂本龍一高橋幸宏細野晴臣。この三つの山を登る旅。(音楽を海と言ったり山と言ったりメタファが定まらない)

まず最初の山は坂本龍一、「戦場のメリークリスマス」のイメージを持って挑んだその登山は、まずそのイメージを捨てることを要求した。「千のナイフ」「end of Asia」これらの初期の教授の曲を聞けば、僕にYMOの曲を聴かせた中国の風は彼から吹いていた事に気が付く。初期の作品群は大体聴いただろう、中でもアル「neogeo」「beauty」などで度々現れる沖縄民謡のアレンジなどは彼の音楽的才能を端的に表している。7合目あたりまでは、足取り軽く登れていたのだが、その先を登る力は今の自分には無かった。特に最新アルバムは少しだけ聴いて諦めた。これはもっと大人にならないと聴けないな、そう思った。そういう事なので、この山はもう少し大人になってから挑戦しようと決めた。つまり、7合目の先へ行く体力は自分の身体にはなかった訳だが、現実のいまここの身体は睡眠を要求してきた、その要求に素直を応答しよう。