神は突然やってくるI

二枚の扉を外した押入れの中は、上段(正式名称は知らない)には突っ張り棒が一間ほどの距離をブリッジしていて、右から順に服、pc本体、デスクトップ、数冊の本、と並んでいる。下段は、右半分に冬服があり左半部は座った時に足を伸ばすスペースになっている。神棚には普段使わないものと、小さな籠に入ったローションとオナホが隠してある。神棚は日常的に開け閉めしないのが普通なのかもしれないが、諸事情により毎晩のように開け閉めしている。ここで突然雨が降ってきた。窓をしめるついでに煙草を吸う。外した二枚の扉はというと、6畳ほどの部屋の、ここから対角線上にあるベットと壁の間に挟んであり、その扉を開けるとユートピア‥ではなく白い壁がある。さて、この文章は何の前触れもなく書いている。あと数文字で終わるかもしれないし、永久に終わらないかもしれない。(それは嘘) そしてブログタイトルに意味はない。さらにブログ名の「第四のインターネット」も菊池成孔のブログ「第三のインターネット」から取っている?が、そのブログも読んだことないので意味がない。ヘッドホンからはjazzが流れている、恐らくマイケルデイビスだが、それにも特に意味はない。とにかく突然ブログをやろうと思い、直ぐにヒットしたこのサイトをクリックして、ほんの数十秒後に書き始めているだけだ。さてここから何を書こう。その前に、そもそもこの文章は誰かが見るのだろうか。何かの間違いで誰かが見たときの為に自分のことを少し書く。95年生まれ性別男、東京在住、長野出身。現在フリーター。本当に少しだ。学生時代や職歴なども一応あるが人に話せるような経歴はない。これは謙遜でも自己卑下でもなく単に事実だ。ここまでで状況説明、ブログの説明、自己紹介。なんとなく最低限の情報は書いた気がしてきたのでここからは自由に書く。(ここまでも自由か)

数秒前の自分によるとブログを書き始めたことに意味はないらしいが、それだと話が進まないので、今書きながら意味を考えていく。一般的にブログをやっている人は副収入の為にやったりしているのだろうか。当然自分はそんなことは考えていないし、できるとも思わないし、なによりしたくない。強いて言えば、思考の整理や日記的役割、もしくは単にタイピングの練習かもしれない。数学者の岡潔は、数学的思考をする時に、方程式で考えることはなく、あくまで言葉で考えると言っていた。数学者でさえそうなのだから何かを考える上で言葉以上のものは今の世界には無いかも知れない。ちなみにその本は、小林秀雄との対談形式で「人間の建設」という本だ。その中で小林秀雄は「言葉は言葉を産む」と言っていたのでそれに従ってこの本の話をしよう。その前にこのブログを書く理由だが、今のところ思考の整理ということにしよう。その本だが一か月ほど前に六本木のブックファーストで購入した。一言で言うと「文系代表と理系代表があれこれ話す本」だ。あれこれの内容は多岐に渡る、数学における感情の問題や、日本的思考の仕方、アインシュタインロシア文学....などだが、対談という形式と二人が異なる専門分野の人である、という二つによって専門的な話はほとんど出てこないので案外サクサク読める。(決して浅いという訳でない、あたりまえか) そして今、この本の目次でも眺めようと思ったら一つの重大な事実に気が付いた。別に重大でもないのだが、今その本は武蔵境に住む20歳の見知らぬ女子大生の家にある筈だ。見知らぬというのはあまり正確ではない。一昨日の夜、吉祥寺の餃子の美味しい居酒屋で一度会っている。そしてその時、彼女に本をあげてしまった。ここで突然この文章を辞めなくてはならない。日付が変わってしまったからだ。続きを書くかは今はわからない。とにかく終わりだ。